気まぐれ日記 2022年10月


2022年9月はここ

10月1日(土)「大胆な次女・・・の風さん」
 秋田行きが近付いているが、その準備だけやってはいられない。やることは他にもある。
 先ず、月例の仕事だ。家中のカレンダーの更新、配管と鏡そして空気清浄機の掃除。消臭ビーズの交換もやった。
 半年に一度のゴキ用毒えさの交換(屋内外)もやっておかなければならない。ここまで半年間、母屋でゴキの出現がなかったのは、このホウ酸系の毒えさのお蔭だ。あ、それとアシダカグモ(軍曹)の活躍。
 じぶん銀行を使った振り込みも2件おこなった。1か月に5件まで手数料が無料なのは助かる。
 そして、キャメロンで屋外へ出動。保護猫カフェに行き、サラちゃんの引き取り料を支払った。多頭飼いから保護されたミヌエットという事情があり、普通より高かったが、人助けならぬ猫助けだから仕方ない。
 そこから土曜日でも営業しているJPへ行き、通帳を利用した(手数料をなしにするため)振り込みをおこなった。
 帰宅したら、次女がもう来ていた。明日は友人の結婚式が名古屋であるので、里帰りしたのだ、というより、サラちゃんを見るのが目的だった。猫用のおやつとオモチャを持って来ていて、もう試していた。
 やっと秋田行きの準備ができるようになった。友人二人に電話した。
 次女のサラちゃん手なづけは大胆で、ケージの扉を開けてやっていた。室内に出てきてもいいぞ、というやり方だった。見ていてハラハラするが、臆病なサラちゃんは出てこなかった。
 次女の調教は深夜におよんだ。

10月2日(日)「秋田行きの準備・・・の風さん」
 第18回全国和算研究大会秋田大会では、私の発案で市民講座をおこなう。そのためのポスターを作っていたが、バージョン8でほぼ完成した。A4が基本だが、2倍のA3と半分のA5サイズも作って持って行く。
 名古屋へ向かう次女を駅まで送ったついでに、コンビニまで行き、A4をA3に拡大コピーした。もちろんフルカラー。我ながら良い出来だ。
 帰宅し、仮眠したあと、A5サイズも大量に作った。
 秋田行きの準備がたくさんあって、月例の掃除の続きを断念した。
 秋田では主に市民講座のPRや協力依頼をするのだが、半分は久しぶりの同級会を楽しむ。小学校、中学校、高校の3つだ。ところが、出発前日の今日になっても、頼んだ友人から「いつ、どこで、何人集まるのか」連絡がない。
 どんどん時間がなくなり、この間の上京の時と同じ服装で行くことにした。
 ANAからメールがあり、搭乗機は混雑が予想されるため、機内持ち込み手荷物は一つにするようにと書いてあった。平日の秋田便だが、コロナを恐れず、人々は動き出したのだ。止むを得ず、持って行く荷物そのものを減らすことにした。

10月3日(月)「秋田ツアー初日・・・の風さん」
 6月の仙台行きの時ほど、セントレアは混雑していなかった。それでも、時間的に余裕があるわけではないので、急いで持って行くお土産を10個買ってキャリーバッグに入れ、チェックインカウンターで預けた。
 手荷物検査は、バラバラにして小分けし、身軽になってパスした。
 出発ロビーのビジネスコーナーでMacBookAirを立ち上げて、1件だけメール送信した。
 機内は確かにほぼ満席状態だった。
 秋田に着き、ANAとパックのレンタカーを借りた。初めての会社だ。保険を1件追加した。
 これからは秋田大会準備が続く。
 大会で利用するホテルで高校の同級生と合流し、ランチ後、会場へ行き下見をした。現地を見なければ、市民講座の展示方法を構想できない。壁に貼る場合は、養生テープしか許されなかった。
 秋田魁新報社の本社へ行き、大会のPRにつながる記事の打ち合わせをした。
 友人のクルマで30分走って、五城目町役場へ行った。町長が高校の6年先輩で、協力を依頼するのが目的だ。先月出した筑摩学芸文庫の中に五城目町が五十目村として登場するので、目的は達成すると自信たっぷりだったが、スキャンダルを恐れる行政としては、慎重な態度だった。なかなか厳しい。
 同級生の経営する古書店に寄って歓談してから、新聞社と今夜私が泊まるホテルを経由して、同級会の会場の寿司屋へ向かった。通常の同級会に加えて、秋田大会の協力も依頼した。

10月4日(火)「秋田ツアー2日目・・・の風さん」
 朝から小雨模様だった。
 今日の最初の訪問地は、母校秋田高校である。前もって校長に電話でアポをとっておいたので、すべてがスムーズに進行した。秋田大会の概要と市民講座の狙いを理解してもらい、協力を約束してくれた。ありがたいことだ。
 続けて、敷地内にある同窓会事務局の立派な建物に行き、同じく協力を依頼した。同行してくれた同級生が、元ここの事務局長もしていたので、同窓会のホームページで市民講座を告知してくることになった。ありがたいことだ。
 用事のある同級生とここで別れた。次の訪問地は、秋田大学である。同大学の知人が、訪問部署を紹介してくれていた。しかし、行政とよく似ていて、部外者からの要求には慎重であることも聞いていた。案の定、そういうことになった。窓口で説明を始めたら、あとから出てきた担当者が、私の説明をさえぎり、書類を置いて帰れと言われた。最近、書店で冷たくされることが多かったので、耐えることができた。そして、絶対に言わなければいけないこと「秋田県教育委員会の後援はまだ決まっていませんが、申請中で、承認がおりたらすぐ電話します」を告げて、その場を引き下がった。
 雨が降るキャンパスを、傘をさしながら、とぼとぼと駐車してあるレンタカーまで歩いた。守衛が好意で正門の近くに駐車させてくれたのだ。
 次は角館だ。午後の用事が、あとで書類で申請するに変わったので、時間的な余裕ができた。明朝訪問する算額のある神社の下見に行くことにした。5年前に道に迷って苦労したところだった。
 ナビに住所の地名が表示されず、Websiteで見つけた経緯度を入力して向かったら、違った神社に案内された。次に電話番号で入力したら、個人宅の番号だから、個人名を入力しろと出た。入力したら違うという。しかし、近くまで案内するというので、それに従ったら、ずいぶん遠くへ案内された。もちろん違っていた。ここで万事休すとなった・・・と思ったが、スマホにアドレス帳にある宮司の住所(私が入力した)の横に地図表示があった。拡大したら、どうやら正しい。ナビ案内もしてくれるらしい。出発ボタンを押したら、本当に案内が始まった。しかもボイスナビだった。
 着いた! 宮司は留守で明日会う予定だが、場所を確認できてよかった。へぼナビに地点登録だけはしておいた。
 次に、今日のスケジュールで決めてあった角館武家屋敷へ向かった。秋田大会では青柳家を見学する予定にしてあった。知人のオーナーは出張で不在なので、スタッフの方と会って打ち合わせる予定になっていた。いちおう敷地内をざっと見て歩いた。レストランが休業中だったが、他は以前と変わりなかった。雨が降っているので、見学者はまばらだった。スタッフにお土産を渡して、当日の協力を依頼した。これはうまくいった。
 大曲のホテルに行ってチェックインした。ここは定宿である。今夜の小学校の同級会はいつものスナックだと、ようやく分かった。ところが、いつものスナックは、いつも道に迷うスナックだ。5分もかからない場所に30分以上もかかった。しかも、同級生に何度も電話で聞きながら、だ。
 着いてしまえば、そこは同級会。今日の行動の中で感じたいやなことはすべて吹っ飛んだ。

10月5日(水)「秋田ツアー最終日・・・の風さん」
 昨日下見した神社へ向かった。
 レンタカーで走りながら、ようやくそのクルマが、珍しい軽四ハイブリッドだと分かった。ワイフのアクアと同じメカニズムなのだ。どうりで回転を上げると、軽自動車特有の安っぽいエンジン音とは違う音だった。実に面白い。燃費もリアルタイムでデジタル表示され、惰性で走らせると50km/Lと出るから笑ってしまう。これはアイドル状態で走行したときの燃費だろう。
 神社に着くと、5年前に案内してくれた宮司さんが境内を散歩していたので、近寄って声をかけたが、何となく反応がにぶかった。まもなく背後から息子さんがやってきた。彼が現在の宮司だった。秋田へ来る前から電話で話し合っていたのは、この息子さんの方だったという。「父は認知症が進みましたので」とのこと。5年という時間経過はハンパでない。しかも、そのうちの2年間はコロナ蔓延だ。世の中も人も大きく変化した。亡くなった知人も少なからずいる。
 宮司はとても親切で、しかも算額公開に対して積極的な方だった。懸案事項のギンナン対策や、大型バス対策についても、宮司の方から提案があり、とても助かった。さらに、秋田大学の先生と学生が見学に来たことがあるという新情報まであった。今回の秋田ツアー最後のミッションだったが、収穫が多かった。
 有料道路も利用して由利本荘市へ向かった。中学校の同級会ランチをしながら、市民講座の打ち合わせをするのである。
 いつものレストランへ行き、さまざまな話をしながら、目的はほとんど達成することができた。あとは、私が、市民講座の展示のレイアウトなどを考えて、具体的な依頼事項を明確にすることだ。
 秋田空港へ向かい、途中でレンタカーを返却した。
 今回は自宅のためだけにお土産を買い、帰りの便に搭乗した。
 セントレアで迎えのワイフと合流し、途中で晩御飯を食べながら、秋田ツアー報告をした。
 帰宅したら、二日ぶりのサラちゃんは、私に他人を見る目を向けてきた。やれやれ。
 食後のおやつを食べながら、秋田ツアー報告の続きをし、今夜は早めに寝ることにした。さすがに疲れたぜ。

10月6日(木)「仕事が次から次へと・・・の風さん」
 秋田大会の準備のため、帰宅してもすることが山のようにある。秋田で準備したから、新たに発生したことが多い。どれから手をつけたらいいか、正しい判断をする自信はない。片っ端からやるしかない。
 そう思いつつ、日常に戻ったからとベッドで腹筋運動をしてから起床したら、腰痛になった(笑)。無理はしていないつもりなのだが。コルセットを装着しないと仕事ができない。
 PCを立ち上げて、それでやれることはべらぼうにあるが、処理しながら、最新のPCにまだ更新できていないことが頭をよぎる。OSも最新だし、各機能をバージョンアップさせているのだ。Wi-Fiへの接続も改善されるはず。しかし、始めたら1日仕事になるだろうから、覚悟が必要だ。
 朝食はホットミルクだけで、昼食は久しぶりにインスタントラーメンを作った。きわめて質素な生活に戻った。
 スマホでやることも多い。あらためて知ったケータイの番号を登録した。ラインなどの接続もしなければならないのだが、そこまでできず。
 電話をする用事もあった。昨日お世話になった宮司さんに電話して、いくつか確認することがあった。
 日刊工業新聞社から次のセミナーの募集記事の内容について、確認依頼もあった。こういうことにはすばやく対応しなければならない。
 それにしても、昨日から急に冷え込んでいる。日本列島全体がそうだ。一気に12月に気温になっている。サラちゃんの暖房も懸案事項だった。今年の冬もケージの中から出られないかもしれない。今まで使っていたペット用ホットカーペットはやや大きくて、ケージ内の棚からあふれる。コンパクトで使いやすいものが必要だった。早めに発注しておこうと、その選定作業もした。
 気まぐれ日記を一気に更新するのも大変だった。こうして、どんどん深夜になり、明後日の上京を考慮して、 hairdye を強行することにした。
 就寝は午前5時。すさまじいボケ老人の生活である。

10月7日(金)「上京前日のあわただしさ・・・の風さん」
 10時半起床。外は雨だ。天気予報通り。そして、寒さを感じる雨。猛烈な残暑が続いていたと思ったら、一気に冬に突入した感じだ。
 トーストとホットミルクのブランチ後、キャメロンで外出。やや遠いが、大型家電量販店へ、名刺印刷用紙を購入に行った。明日、上京して名刺交換する機会があるが、手持ちが少なすぎたからだ。何とも効率が悪いが仕方ない。
 帰宅して、早速、名刺の追加印刷をおこなった。
 寒さを感じているうちに、サラちゃんのためにペット用ホットカーペットを発注することにした。選定に時間をかけた。
 明日は日帰りで、いつものこだまグリーンではなく、のぞみの指定席というすばやい往復になる。それでも、それなりの旅行準備は必要だ。今回の悩みは服装だろう。一気に冬のような寒さになって、しかも多くの人と会うから、超ラフというわけにはいかない。最終的に選んだ服装は、ボケ老人とは思えない、はつらつとした格好になった(笑)。
 それから、せっかく上京するので、入れられるだけのスケジュールは組もうと思った。久しぶりに知人・友人と会おうと連絡してみたが、どちらも既に予定が入っていてだめだった。そこで、これも久しぶりになるが、東京国立近代美術館を見学することにした。ところが、事前にネットで下見しようとしたのだが、アクセスできずサイトを閲覧できなかった。
 夜が更けてきて、諦めて、就寝態勢に入った。

10月8日(土)「ボケ老人作家の悲哀・・・の風さん」
 久しぶりにのぞみに乗車した。直前のこだまも含めて、乗車率が高い。土曜日なので、ビジネスマンではなく観光客がほとんどだろう。新型コロナが落ち着き出したばかりだが、私のように、我慢できずに活発に動き出したようだ。
 買ったパンを昼食のつもりで食べ、正午直前に、東京で下車した。歩いても行けるが、少しだけ体力温存を考え、大手町から竹橋まで東西線を利用した。1b出口から最短で東京国立近代美術館を目指した。いつものように皇居周辺をジョギングしている人を何人も見る。何となく日常が戻ってきているのを感じながら歩いたが、もう道を間違えた(笑)。
 なんと美術館は閉館中だった。停電検査とか札が出ていた。何それ? しかも8日間も。
 隣が国立公文書館で、文書で見る鉄道の企画展をやっていたので、入ってみた。明治初期からの歴史的な流れの展示だった。政治家の残した公文書を眺めていると、それが書かれるまでの、色々な経緯が頭をよぎった。最後に署名捺印してあるが、実務を担当した多くの人たちがいたことをすぐ連想してしまうのだ。
 今日の上京目的は、日本歴史時代作家協会の授賞式と関連行事に出席することだった。しかし、それは表面的な話で、一番の目的は、久しぶりに文芸評論家の方たちと交流することである。先月の新刊を何とかPRしたいのだ。
 会場は八重洲ブックセンターの8階だった。
 授賞式を見ていて、受賞者たちのパワーとイベントの活気に圧倒された。ボケ老人作家としてのみじめさを味わった。もはや私の出る幕でない気がした。さっさと帰りたくなった。
 トークショーがあり、途中で振るからひと言しゃべってくれと頼まれた。予想外だった。みじめな気分が続いていたので、振られてからは、受賞者にお祝いの言葉を述べ、協会に加入させてもらった感謝に続いて、デビューして30年たってもパッとしない私のようにならないようにとアドバイスするのが精一杯だった。それでも、私の存在が認識されてしまったので、休憩時間に、何人かの方と名刺交換した。しかし、頭の中では、やはりこのまま帰ろうかという思いが揺れ動いていた。鬱状態だった。
 二度目の休憩時間に、この後の慰労の会に出ますよね、と念押しされて、すぐ帰るのを諦めた。
 どうなるか分からなかったが、皆と夜道を慰労の会の会場へ向かって歩いた。
 30人くらいの慰労の会は、開始すると、ほとんど新型コロナ以前の状態になった。アルコールが入って、私も少し元気が出た。ランダムに着席したが、隣が旧知の作家だったので、何となく気持ちも落ち着いた。
 多くの人と名刺交換した。小説家、編集者、文芸評論家の集まりは、実に久しぶりだった。ボケ老人作家の悲哀は消えなかったが、もう少し頑張ってみようと思い始めた。

10月9日(日)「家にいればやることが多い・・・の風さん」
 やや寝坊した。やることがたくさんあるのに・・・。それでも、頑張って起床したつもりだったが、クロネコが直前に来たのに気付かなかった。サラちゃん用のホットカーペットだったのに(ワイフは実家へ出かけていていない)。
 トーストとホットミルクのブランチを済ませ、月例の仕事で残っていたレンジフードの掃除を始めた。それから、リビングの天井の染み取り。やっと終わってホッとした。次は草刈りだが、当分天気は回復しそうにない。
 さあ次は自分の仕事と思ったら、私より寝坊の長女が起きてきた(里帰りしていると思いっきり羽根を伸ばしている)。勉強中のエクセルの分からないところを教えろという。テキストの日本語表現にとまどっているのが分かったので、元は英文だし、そもそもPC内のエクセルも日本語で書いてあるが、元は英語だから、違和感のある表現が多いのだと、一般論をぶちあげた(笑)。
 その後、サラちゃんを早くペット保険に入れろと言うので、これまでの猫を入れていた保険に加入する手続きをした。以前と少し変わっていることがあり、長女を書斎に呼んで確認しながら加入手続きをした。サラちゃんを病院へ連れて行くのはまだ無理だが、緊急時は往診してくれる獣医を頼るしかない。そのためにも、確かにペット保険の加入は必要だった。
 クロネコが宅配を持って来たので、開梱し、サラちゃんのケージの中のキャットハウスの下に、ペット用ホットカーペットをセットした。6段階温度設定とタイマー機能がついているので、気温に合わせて調節ができる。今日は、肌寒いので、早速使ってみた。ホットカーペットは暖かくなるが、キャットハウスの中へはあまり伝わらない。安全とも言えるが、効率が悪いとも言える。
 さあ、今度こそ自分の仕事と思ったら、会社の大先輩から電話があった。90歳を超えている大先輩だが、先月の新刊2冊を読了されたという。その感想を伝えてきてくれたのだ。うれしかった。話題は拡大したが、人生経験が豊富なので、どうしてもこうなる。それがまた共感を呼ぶので、私も次作へのモチベーションが高まるのだ。
 やっとワイフが帰宅し、今日やろうと思った重たい仕事はもう無理だった。

10月10日(月)「信じられないことが起きる・・・の風さん」
 スポーツの日とやらで、シャバは祭日。現役時代から退職後も、祭日の実感がない。24時間、365日全力疾走が続いているので、精神的なゆとりがないのだ。これを根本的に解決する方法を考えたこともない。このままが続くと、いつか大病して、いやでも考える時が来る気もする。怖いからよけい考えたくなくなる。やれやれ。困った性格だ。
 今日もやることがたくさんある……気がする。精神的に追い込まれているので、そう思うだけかもしれない。ちょっと考えてみると、やることは、電話をかけること、メールを送ること、手紙を書くこと、他愛もないことばかりだ。
 午前中に3本の電話をかけた。その結果、来週末の旅行計画が立てられるようになった。そして、その内容は、3泊4日の旅で、キャメロンで行くことになった。ホテルをどこに確保するかが、ちょっと決めるのがむずかしかった。結局、初めてのホテルを一つ選択した。駐車場は自分で確保しなければならない。
 ついでに、来週の上部消化管内視鏡検査のタイムスケジュールも決めた。明日のZOOM打ち合わせも決まった。
 これだけで、もう夕方である。サラちゃんの調教(?)に来ていた長女も、時間的なゆとりがなくなり、家族での外食はあきらめた。
 晩御飯のあと、長女を名古屋まで送った。帰宅して、くつろいでいたら、リビングのワイフが悲鳴を上げた。私はダイニングにいた。ワイフは羽織っていたカーディガンを床に投げた。何かがカーディガンに包まれているらしい。どうせ蜘蛛だろうと思ったが、ワイフは「ムカデが肩にのっていた!」と説明した。「んな、バカな」と思いつつ、ワイフの座っていたソファを見ると、マッチ棒のようなムカデが上端を這って、下に落下した。
 その後、ムカデは見つからなかったが、ソファの内部に潜んでいると思ったので、ソファとソファのカバーをまるごと、ウッドデッキに運び出した。放置している間に、出て行ってくれればいいが……。確認の方法は分からない。
 その後、郵便物を2通こしらえて、明日、投函するものが全部で5通になった。ムカデが出ても、忙しさは変わらない。

10月11日(火)「全国割の対象外・・・の風さん」
 歩いて投函に行った。遠出している間は、けっこう歩くが、自宅にいると歩かなくなる。せめて投函ぐらい行かないと。
 その後、キャメロンで外出。ドラッグストアへ行ってまとめ買いをしたが、たいした量ではなかった。先週の秋田ではハイブリッドの軽四を初体験し、なかなか面白かったが、やはりキャメロンのパワーは魅力だ。走りが良くないと、運転は面白さが半減する。
 今日は、菅原会長とZOOM打ち合わせを約束している。懸案事項は多いが、私にとっての最重要課題は、やはり市民講座である。小さな研修室でどのようなレイアウトで展示するか、会長の意見も聞かないと、イメージがわかない。とは言え、たたき台もなしで話はできないので、得意のPPTでレイアウトの作成にとりかかった。
 19時からのZOOM打ち合わせにギリギリ間に合った。今回も無料でできる時間内の打ち合わせを2つ重ねて、1時間みっちり意見交換できた。今後、さらに詳細レイアウトを作っていかねばならない。
 その一環で、繰り返し再生の動画が使えるか、これも懸案事項だが、いちおう動画データを保有している会社に使用の許可申請を出すことにしていた。ただし、かなりの使用料を請求される可能性があることも教えられていて、断念することもある。とにかく見積もりをもらわねば。申請書を作成した。
 市民講座の展示は、秋田大会の前日の夜おこなう。そのまま秋田泊は決まりなので、ホテルの予約に取り組んだ。色々な条件を元に絞り込んでいき、いよいよ支払方法の選択になった。理由は分からないが、今日から始まった政府の支援事業、全国割の対象外というメッセージが出た。今さら対象ホテルを探す時間的な余裕はなかったので、そのまま予約を確定させた。

10月12日(水)「多事多端は続く・・・の風さん」
 ウッドデッキに放置したソファからムカデが出たか分からない。今日も雨は降りそうもなかったので、ソファのすきまに防虫剤(パラゾール)を押し込んでおいた。出ていってほしい。ちなみに、ムカデにはエッセンシャルオイルのペパーミントやハッカオイルが効果があるらしい(しかし、ペット特に猫には悪影響があるそうで、使えない)。ま、とにかく、ゴキほどの嫌悪感は抱かないが、刺されるとどうしたらいいか分からないので、用心にこしたことはない。
 来月の市民講座のPRのため、今日も2通の手紙を用意し、歩いて投函に行って来た(ウォーキングは大事)。
 気になっていた裏の土地の草刈りに出動した。完璧に除草するには、1週間くらい連続でおこなう必要がある。とりあえず今日は、クルマを駐車して、ドアの開け閉めをした時、草をはさまないように、雑草の背丈を低くするのが精いっぱいだった。完全武装でおこなったのに、アームカバーの上から虫に刺された(笑)。おそらく藪蚊だ。かゆい。
 晩御飯は笠間の栗をつかった栗ご飯だった。贅沢である。それにしても、もう秋なんだなあ(私の人生も秋。晩秋だったりして)。
 2か月後のオンライン講演のタイトルと要旨を考えた。年内は講演する機会がいくつかある。それぞれにふさわしい内容の講演にする必要がある。2か月は新しい児童書が出るタイミングだし、和算関係の講演なので、吉田光由の『塵劫記』で決まり! しかし、やることが多過ぎる。

10月13日(木)「初インスタグラム・・・の風さん」
 知人から著書を頂戴した。知人とは大学の卒業は同期で高校は1年後輩だった。社会人までに、進み遅れがあって、同級生でも、実際の年齢を確認すると違っていることがある。そして、還暦も過ぎると、同じくらいの年数を生きていても、経験していることは随分と違っている。
 頂戴した本は、榊純一著『中国の航空エンジン開発史』(並木書房)である。技術書だが、タイトルの最後に「史」とついているところがミソである。長く自動車部品産業にかかわっていた私は、これが自動車エンジンの話だったら、ある程度の予備知識があったろう。しかし、航空エンジンとなると、見当もつかない。技術だけの話なら似ているかもしれないが、航空エンジンとなるときな臭くなる。軍事技術と直結するからだ。
 この本は、技術を語りながら、時代背景や国と国との力関係など、複雑な事情を前提にしている。そして、歴史を語ることは現在を語ることでもある。きわめて興味深い著書をいただけた。感謝である。
 お礼の手紙を用意して、今日も徒歩で投函してきた。
 天気が好いので、また草刈りに出動した。裏の土地の駐車ニーズが高まっている。
 SNSを活用して、著書の販売を促進させたいと焦っているが、なかなか手が回らない。そのような中、今夜、初めてインスタグラムに投稿した。先月のことだが、保護猫の里親になったと書いて、サラちゃんの写真を投稿した。このインスタグラムは、フェースブックと連携しているのだが、インスタグラムは当面、サラちゃんを中心に書き込む。

10月14日(金)「屋内外で忙しい・・・の風さん」
 ボロボロになり、再塗装して復活させた鳴海風の表札がまたボロボロになったので、一昨日、Amazonで発注したら、もう届いた。木製ではもたないので、今回はアクリル製にしてみた。書体がカッコ良くて、気に入った。こういった書体でサインができればいいのだが。
 2階の洗面所に昨日、小さなアリが数匹いた。どこにも食べ物なんてないから、こいつらだけ追い出せばもう出てこないと思ったら、今日は何匹もいる。シンクと棚のすき間からやってくると判断し、ガムテープですき間を塞いだが、効果なし。本当に小さなアリで、虫眼鏡で見ないと分からないくらいだ。何と、壁に据え付けてある鏡と棚のすき間から出入りしている。ハッカ油を作って噴霧し、嫌がって来ないようにしたつもりが、あまり効果がない。
 天気が好いので、今日も屋外作業に出動した。裏の土地の雑草がなかなか刈り取れない。今日は、バッテリー2個分やった。連続しておこなうと、電動草刈り機のモーターが焼き付く恐れがあるので、冷やすために除草剤散布をした。バッテリー2個目を使っても、まだかなり雑草が残っている。ついでに、駐車ゾーンの目安のために置いてあるカラーコーンに貼り付けたガムテープが劣化していたので、貼り直した。これを貼らないと、本体が劣化して、真っ二つになることを経験しているからだ。安価なカラーコーンでも、捨てるためには粉々に粉砕する必要があって面倒だ。

10月15日(土)「職人の誕生日・・・の風さん」
 今日も好天気。屋外作業を頑張るぞ、と気合を入れつつ、ふとサンルームを見たら、窓枠のところに、小さなアリと黒い羽根アリが、列をなして上下していた! どこから来てどこへ行くのか、考えている余裕はない。とりあえず、キンチョールを持って来て噴射したら、パラパラと落下して動かなくなった。
 ゴキが出ない代わりに、ムカデが出たり、アリがわんさと押し寄せてきたり、恐ろしい。
 トーストとホットミルクの朝食を摂って、屋外作業に出動した。完全武装でやや暑い。バッテリー1個分刈ったあと、モーターが冷える間に、剪定ばさみを使って庭木の剪定をおこなった。庭木も悪天候の影響で、途中で剪定ができなかったので、伸び放題である。とてもきれいに剪定することはできなかった。続けて、2個目のバッテリーを使った。
 昼食にインスタントラーメンを食べたが、すっかり疲れてしまい、しばらく休養をとった。
 その後、昨日届いた表札に、ドリルで穴を明け、ヒートン(輪っかの付いたネジ)を埋め込んだ。ここに鎖をつないで、門柱にぶら下げるのである。簡単なようだが、職人芸が必要で、大変だった。
 今日は、私の69歳の誕生日である。職人の真似事をやっているとは、想像もできなかった(笑)。

10月16日(日)「ご恩返し色々・・・の風さん」
 4日連続で(バッテリー6個分の)草刈りをしたお蔭で、裏の土地の駐車できるスペースが9割くらい復活した。
 今日は、別の懸案事項に取り組む。
 メールに対する返信がない咸臨丸子孫の会の知り合いに電話した(携帯電話番号が見つかったから)。お元気だったが、新型コロナに奥さまと一緒にかかったという。ご高齢ながら、発熱だけで済んだそうで、さらに行政から段ボールいっぱいの食べ物も届いて、生き延びたという。新刊『鬼女』(早川書房)の発端に関係する人だったので、贈呈することを約束した。もう一人の重要人物の話題も出たので、そちらも。どうしても出版したかった『鬼女』である。願いがかなったら、あとはご恩返しを確実にしていかなければならない。
 新刊2冊の贈呈もまだ残っている。今日は心月斎へ行った。法事の合間に前の住職さん夫婦に今回の作品に込めた私の想いを熱く語った。特に『鬼女』に関しては、以前から思っていたことですが、とことわった上で、生前ながら戒名をつけてほしいと頼んだ。幸運にも本が大好きな前の住職さんのお寺に、父が寿陵(生前に建てる墓)を作り、私は檀家となった。このご縁で、新刊を出せるたびに報告に行くことが楽しみであり、モチベーションになっていたのだ。『鬼女』の出版で達成感を味わった喜びは、何らかの形で記念に残したかった。それが、念願だった戒名をつけてもらうことのお願いとなったのだ。ご恩返しと言ってもよい。終活とは言いたくない(笑)。
 ホームセンターへ回って買い物をし、表札の裏にクッションを取り付けて、表札の更新が完成した。
 散髪へも行き(今日は永代供養の話を聞いて勉強になった)、GSへ回ってキャメロンの満タン給油もしておいた。
 栄螺堂の管理者からメールがあった。『鬼女』を送ったお礼だったが、その気持ちがうれしかったので、一つの提案をさせていただいた。もし了解されれば、また私は忙しくなるが、価値ある仕事に取り組める。

10月17日(月)「定例行事・・・の風さん」
 毎年恒例の胃カメラの日だ。早起きして、ワイフに駅まで送ってもらった。電車を乗り継ぎ、最後は病院のバスだ。約1時間半で到着した。新型コロナのせいだろう、検査OKまでの関所が増えている。検査待合室に入るまで、2時間近くかかった。
 それからは早かった。喉の麻酔剤を飲み、ベッドに横たわり、血圧測定器を足首に、血中酸素飽和度測定器を指先に装着し、マウスピースをくわえ、鎮静剤を打たれて間もなく、69という私の年齢を看護師が医師へ伝える声を聞いたのが最後で・・・。目が覚めたとき、検査はいつ始まるのだろう、と眠りに落ちる直前の意識の続きから始まった。しかし、すべて終了していたのである。おそらく30分くらいしかたっていない。
 会計をすませるとき、特に異常はなかったと告げられた。メロンパンとカフェオレの軽い昼食を摂り、来た時と逆のコースで家路についた。
 ワイフの迎えの車に乗って、そのまま墓参に行った。月命日の行事だが、前回からもう1か月が過ぎたのだ。ヒマ過ぎるのはよくないが、忙し過ぎるのもきっとよくない。線香を立てて手を合わせた、目の前の墓石の下に向かって、まっしぐらか(笑)。忙しさが世の中のためになっていることを祈った。
 就寝前、やっと22日の講演スライド作成に着手した。
 明日も定例の仕事があるな。

10月18日(火)「留守番も忙しい・・・の風さん」
 昨日と反対に、ワイフを駅まで送った。同じ時刻発車だ。
 帰ってすぐ、 hairdye をしながらルーチンをこなした。シャンプーする前に、風呂そうじ。夏を中心にほとんどシャワーだった。これから風呂のシーズンに入るので、ユニットバスを分解し、換気扇から照明まで掃除した。
 朝食後、図書館へ本の寄贈へ行こうとしたら、サラちゃんがウンチをした。片付けていると遅くなるので、そのまま図書館へ。寄贈は『鬼女』と『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』それぞれ2冊だ。持って来るのが遅くなったが、それはそれでよかった。『鬼女』はTRCからの配本があったそうで、既に貸し出し中とのことだった。課題図書の時は、あとから私が追加で寄贈して貸し出し不足を少し補った。『鬼女』はきっと読みたい人が多いと思う。
 秋田大会の市民講座のPRもして帰宅した。すぐにサラちゃんのウンチの片付けをした。消臭器をONにした。
 昼食はお菓子を食べてごまかした。
 屋外へ出て、母屋とログの通気口に虫よけスプレーを噴霧した。アリ対策のつもりだったが、今日使った薬液は、主にムカデ対策らしい。人や植物には無害だが、強烈なハーブ臭が残るという。通気口の一つの前に、大きなムカデが死んでいた。もちろん虫よけスプレーのせいではない(噴霧前だ)。ムカデが死ぬにはよほどのことがあったに違いない。もしかすると、ゴキ用の毒えさを食べたのかも(ムカデは肉食なので、ゴキ用の毒えさを食べて死んだゴキを食べたなら死ぬらしい)。
 うまく調整した通り、Amazonに発注した品物が4点届いた(他に郵便小包も)。
 夜になり、浴室の防カビ燻蒸をした。2か月に1度の仕事だ。
 22日の講演スライド作成がかなり進んだ。あとひと息で完成しそうだ。

10月19日(水)「早起きは三文の?・・・の風さん」
 3日連続で7時の目覚ましで起床。現役時代はもっと早かったが、・・・、待てよ、年取ると早く目が覚めるというが、私はうっかりすると死んだようにいつまでも寝ている、おかしい、本当は死んでいるのか(笑)。
 新刊の贈呈が遅れている。今日も、近くのお世話になっている方のところへ、届けに行った。会社の会長さんで、新型コロナが蔓延している間は、秘書の方に託して帰って来たが、そろそろ、短時間ならいいだろうし、話したいこともたくさんある。
 指定の時刻に行き、短時間で終えるため、「今日はこの3つのお話をしたくて来ました」と切り出した。現役時代にもどったようなしゃべり方だが、相手はまさに現役も現役、超多忙のビジネスマンだから、これが礼儀だ。
 私の知らないハイレベルな話もたくさんうかがって退室したが、会長は自ら社屋の玄関前、道路ぎわに立って、私を見送ってくださった。感謝。
 帰りに、キャメロンを自動洗車し(なかなか自分でやる時間がとれない)、ファミマで売れたメルカリ品を発送した(純利益190円)。
 午前中のひと仕事だけで疲れてしまい、2回もベッドで休養をとった。やれやれ。
 22日の講演スライドが完成し、配布資料の用意に取り掛かった。レジュメは明日の課題になってしまった。
 市民講座のために蒔いた種から芽が出始めた。努力は報われるのかもしれない。

10月20日(木)「余裕のない出発前日・・・の風さん」
 いよいよ出発前日だ。今回の3泊4日の旅がこなせなければ、来月の秋田大会は前途が暗くなる。5泊6日になりそうだからだ。ということは、出発前日は余裕でなければならない。
 しかし、それは無理。
 先ず、キャメロンで出かける用事がある。持って行くお土産がいくつかあり、一つは地元で購入。続けて、月例のATMめぐり。巡拝ではない。祈っていてもお金は手に入らない。キャッシュカードを使って引き出すしかない。
 帰宅し、キャメロンからナビを外した。書斎で、先に内部電池に充電する。その後、今回の旅の目的地と経由地の合計4か所を地点登録し、初日の分はルート設定しておくのである。執筆マシンがあれば、この作業は間違いなくできる。キャメロン内でやる場合は、iPhoneしか頼れないので(レンタカーがこういうパターンになる)、てこずる恐れが高い。
 肝心の旅行の準備は晩御飯後になり、最後が、昨日できなかった講演のレジュメ作成になった。どんな講演でもレジュメを作れとは、高校の先輩、佐々木常夫さんのアドバイスだった。聴講者へのサービスである。
 やっぱり疲れてしまった。就寝もやや遅くなってしまった。不安が残った。

10月21日(金)「ロングドライブの果てに・・・の風さん」
 ここ1週間、私としては早起きを続けていた。旅先で寝坊はできないから、体を慣らしていたのだ。だから、今朝も、普通に起床した。気合は入っているが、いつもより睡眠時間が1時間少ない。
 玄関に並べた荷物の多さを見て、ワイフが呆れていた。「こんなに荷物が多くて、秋田の時はどうするの?」
 何しろ紙袋3つは、次女のところへのお土産だ。電車でなど行けるわけがない。しかもその中の2つは、ワイフの提案だった。出発時にワイフと口論しているわけにいかない。笑って受け流す。
 出発してしばらく走って、体調が万全でないことを自覚した。こういう場合は、スピードを控えめにし、途中の休憩を増やすのが良い。
 いつものように、浜松SAにピットインした。午前のおやつは、うなぎエクレアに決めている。ところが、今日はそれがなかった。がっかりしたが、へこんでいる場合ではない。大名あんぱんとやらに変更して平静を保った。静岡SAに寄って、煎茶のお土産を購入した。鮎沢PAで昼食に味噌ラーメンを食べた。ここまで、平均速度80キロくらいで走っていると、目的地の予想到着時刻が全く早まらない。かつて、ドイツのフランクフルトからワイマールへアウトバーンを平均速度160キロで走っていると、目的地の予想到着時刻がまるで早まらなかった時と似ている。
 東京の出口寸前に事故渋滞があった。疲労が増した。首都高を抜けて、ネット予約した駐車場を見つけるのに、べらぼうに時間がかかった。何と1台分しかないスペースが駐車場として提供されていたのだ。縦列駐車以外にそこへ入れる手立てはなかった。駐車場のないホテルを予約したからで、仕方ないのは仕方ないのだが、疲れた。
 経年劣化を感じるホテルにチェックインし、疲れたので、ホテルのレストランで晩御飯にしたが、ロボットが配膳してきたのが唯一の価値で、栄養補給にはならなかった。
 入浴後、ふと見たテレビ番組に感動した。レンタルコミックを利用する人たちの、ニーズの分析が、風化しかかっていた私の頭脳に活を入れてくれた。

10月22日(土)「講演は謙虚さが大事・・・の風さん」
 朝食もそこそこにホテルを出発。今日は電車で移動の日だ。
 上野駅公園口から出て、東京都美術館へ。現代書展の最終日である。書道展はほとんど経験がないので、まともなコメントは書けないのが残念だ。中国の古典やお経を様々な書体で写した作品が多い。バラエティが豊富なので、素人の私には、書というよりデザインといった感じだ。重鎮の一人である知人の作品は、お経で、金と銀とで1行ごとに変えながら書いてある。金も銀も素材は本物で、書いたあと、専用の磨き粉を使って表面を磨くのだという。職人芸も必要なのだ。25年前に内閣総理大臣賞を受賞されたという知人の解説で、私も書に対するイメージを一新させられた。別れ際、イギリスの詩人の詩集を頂戴した(寄贈書籍のページ参照)。日本語訳との対訳集なので、原文と読み比べることができる。いつか翻訳ものを書きたいと思っている私には、ありがたい本だ。
 エージェントと落ち合って、昼食を摂りながら打ち合わせをした。その後、電車を乗り継いで、今日のミッションである講演会場へ。そこはお茶の水女子大学に近かった。懐かしいスポットだ。
 会場にはプロジェクターやスクリーンがなくて、一瞬、動揺したが、大型の液晶モニター(オンライン会議用だろう)が設置してあったので、助かったと思った。裏の配線を見て、MacBookAirと接続できることが分かった。
 児童書の編集者が多い交流会での講演である。書き手の立場でする話を聞いてもらうのが目的だ。昨年11月に出版した『エレキテルの謎を解け 電気を発見した技術者平賀源内』が題材である。平賀源内をどのように分析評価していった結果があのような作品(源内の人間と人生)になったのか語った。自宅から持って来たレジュメもそれを補足するものだ。熱っぽく語れば語るほど(実際、上は半そでTシャツ一枚だった)、上から目線で、威圧的になり、膨大なデータ(論拠)は、聴講者を圧倒してしまう恐れがある。ところが、昨夜のテレビで見たことが大いに役立った。どんなに全力主義を前面に押し出そうとも、それで正解だとかベストだといったことは言えない。自分は、しょせん、お釈迦様の手のひらの上を飛び回っているちっぽけな孫悟空なのだ。私の主張と真っ向から対立する反対意見や、辛辣な批判を常に求めた。それでも謙虚な聴講者は、遠慮がちだったが、雰囲気から、担当編集者が変われば、もっと違った作品ができていたということは、認めないわけにはいかなかった。とても勉強になった。
 講演後、近所で茶話会があった。その中に、長期間にわたって私の気まぐれ日記を読んでくださっている方がいた。きっかけは彼女の作品に対する私のコメントだった。ボケ老人は、当時から既にボケ中年あるいはボケ高年だったので、すっかり忘れていた。このままいくと、死ぬときまでに、失う記憶が新たな記憶を上回ってしまいそうだ(笑)。
 その後、皆と別れ、新宿でかつての同僚と合流した。同僚とは言っても、一緒に仕事をしたことはない。不思議とウマが合うというか、自然な引力を感じるのだ。

10月23日(日)「小野友五郎を伝えてゆく会・・・の風さん」
 今朝も朝食はそこそこに、ホテルを出て、苦労して見つけた駐車場まで行き、キャメロンに乗り込んだ。ホッとした。ナビの地図で見ると、近くにトキワ荘ミュージアムがある。いつか見たいと思っている場所だ。しかし、今日はその余裕はない。
 茨城県の次女宅に、ほぼ予想時刻に到着した。覚えていてくれたハスキー犬の凜ちゃんが飛びついてきた。飼い主夫婦よりも来客に甘えてじゃれてくる。叱られて何度追い出されても、またそばに来て、抱きついてくる。
 お土産を渡し、ほぼ一方的に近況を語り、1時間ちょっとでそこを出発した。
 目的地、笠間へ向かった。10年くらい前から活動を始めた「小野友五郎を伝えてゆく会」が、いよいよ組織と規約を明らかにして、来年から正式に動き出すのである。友五郎のご子孫の方たちや、養子だった友五郎の本家筋の方もみえて、充実した会合だった。しかし、それ以上に素晴らしかったのは、ほとんどの出席者がコメントを求められたのだが、日頃の身分からは想像もできない、つまり堅苦しさのない、フランクな挨拶で、今後の活動への期待感がふくらんだ。卓話を求められた私も、そういった感想を述べて、今後の支援を約束した。
 歴史館には市内の小学生が応募した小野友五郎新聞のような作品がたくさん展示してあった。400をこえる応募があったという。作品を書くために調べたことで、子どもたちは故郷の偉人小野友五郎をしっかり記憶に焼き付けただろう。また、展示を見ながら、2週間後の秋田でおこなう「市民講座」を連想した。課題は多い。
 夜は懇親会があった。4月の笠間での講演のあとの懇親会と同じ場所だった。ここでも、会合のフランクな雰囲気が続いていて、やはり今後への期待というか、私もできるだけのことをしようという気持ちが高まった。
 ウィスキーのオンザロックが1杯よぶんだったのだろう。ホテルに帰ってから、フラフラだった。

10月24日(月)「復路は順調・・・の風さん」
 昨夜、持ち歩いているトートバッグを開けたら、中から凜ちゃんのオモチャが出てきた。ゴムまりだが、踏むとキュッキュッと音がする。昨日、次女宅で、私にからみつく凜ちゃんは、足元でこの遊びをやってみせてくれた。転がしては前足で踏んで音を出す。これを何度も繰り返していた。「お利口さんだねえ」と褒めてやると、何度もやる(笑)。
 私が目を離した隙に、この音がするゴムまりをくわえて、私のトートバッグに入れたらしい。
 今回の旅の復路の経由地に、また次女宅を設定することにした。
 ・・・と、「小野友五郎を伝えてゆく会」の会長から電話があり、帰りに寄ってくださいと言われて承知した。
 昨日までの天気が嘘のように、今日は小雨が降っていた。少し寒さを感じる。
 会長宅では、途中から副会長も合流して、2時間近く歓談したが、ほとんど雑談に近かった。10年間の粘り強い努力が昨日の発足式につながり、その感激の余韻にひたっていたわけだ。とにかくめでたい。
 GSで満タン給油して、あらためて笠間を出発した。
 次女宅に着いて(夫婦は出勤していて留守なので)、玄関わきに凜ちゃんのゴムまりを置き、キャメロンと一緒に写真を撮った。あとで、この証拠写真を送るのだ。
 小雨がぱらつく天気が続いていたが、渋滞もなく、圏央道の厚木PAに着いた。
 東京を抜けると、もう雨はまったく降らず、渋滞もなく、そして何と言っても体調がよく、午後7時に帰宅できた。片道約500キロを8時間で移動できたのだから、十分だろう。来週末の秋田行きはこうはいかない。片道が1.5倍ある。
 サラちゃんに「ただいま〜」と言ったが、凜ちゃんに会ったあとだからだろう、サラちゃんのなんと小さいことか。
 今日、往診専門の獣医が来てくれて、耳ダニと回虫の両方に効く薬を処方してくれ、早速ちゅーるにまぜて服用させたという。よかったよかった。

10月25日(火)「仕事を再開?・・・の風さん」
 さあ、今日からまた仕事だ。大きな仕事が二つある。秋田大会の準備と児童書(12月初旬出版予定)の大詰め。
 秋田大会の準備はやることが多岐にわたっていて、作戦計画を立てるのも困難だ。今日は、目の前のものから少しずつ片付けていく。一方、岩手県和算研究会の菅原会長は、今日、秋田へ行って、さまざまな準備をする。
 拙著の販売が可能になったので、特殊物入れから、保存してある本をおろした。にぎやかさを感じるくらい持ち込むが、事前にすべてサインをしておく(少しずつしかできないので、何日もかかる)。足りない本は補充のための発注もしなければならない。
 大会2日目の宿の決定には、中学校の同級生の意見が必要だった。同級会をやるからだ。確認すると、ホテルの確保を優先してくれとのことだった。確かにそのとおりで、めぼしいホテルは満室で、結局、いつもランチをするホテルを予約した。残るのは、往路と復路の途中経由地である。自宅から一気に秋田入りするのは、ボケ老人は自制しなければならない。
 先の心配もしなければならない。12月は、講演が2件とセミナーが1件、予定されている。上京の可能性も1件ある。知人にお願いしている講演案件を確認する必要があった。電話したら、すぐということはなく、来年の後半になるかもしれないとのことだった。了解した(もし12月だったら、大変だった)。
 児童書の初校ゲラの校正に着手したのは、夜遅くなってからだった。
 いかにも作家らしい1日のように書いたが、途中でドラッグストアにまとめ買いに行ったし、代引きの通販も受け取ったし、今夜は風呂掃除をして寝ることになる。やれやれ。忙しい人だ。

10月26日(水)「忙しい時に限ってトラブル発生・・・の風さん」
 秋田大会の市民講座の展示室では、録画映像を繰り返し(ループ)再生しようと計画している。なるべく自前の機器を活用して設置したいと思っていた。その確認が今日からやっとできる。先ず、ポケットPCを引っ張り出した。なるべく機器は小さい方がいい。ドキドキで電源を入れてみたら、作動しなかった。色々と試してみて、バッテリー駆動なら立ち上がるが、なぜか電源コードを接続するとだめなのである。そこで、iPadminiを使うことを考えた。ところが、最新の第6世代でないため、端子が変換アダプターと合わない。iPhoneも同様なので、とりあえず自由度の高い変換アダプターを1個購入しておくことにした。
 録画データはそのままでは使えなかったので、2つの変換ソフトを使って、mp4にしておいた。ミニプロジェクターとミニスクリーンが使えるかは、MacBookAirで確認した。繰り返し再生もできた。
 実は、こんな作業をやりながら、突発のトラブルにも対応していた。我が家の液晶テレビの画面が急に映らなくなったのである。色々なことを試してみたが、電源は入り、リモコンでテレビを映そうとすると、受信はするものの、本体が映像と音を出さないということが確認された。
 今夜は、秋田大会、往路の経由地の宿を予約した。なるべく安い宿を探した。

10月27日(木)「繰り返し再生もハードル高し・・・の風さん」
 児童書の初校ゲラの校正を開始したが、地図と奥書のデータが飛び込んできたので、とりあえずそれを片付けることにした。地図はなかなか厄介だった。そもそも江戸時代初期の京都の地図を正確に表現したものなど、見たこともない(古地図はあっても不正確だ)。そこで、現代地図をベースにして、当時の地名を適宜配置する。これがけっこう至難の業なのである。分かりやすさを重視して、修正提案を戻した。
 児童書は、昨日と今日で2章まで校正作業が進んだ(でも、たった2章だ)。
 繰り返し再生のための変換アダプターが届いたので、iPadminiとiPhoneで試してみた。確かに映像は出る。しかし、画面が暗い。ミニとは言え、プロジェクターとスクリーンとの間の距離も気になった。せまい展示室に、ここは通行不可のデッドスペースになってしまう。そこで、急遽、液晶モニターに映すことにし、安価な商品を探して発注した。残る課題は、iPadminiに録画データを入れて、繰り返し再生できるようにすることだった。
 不具合が発生した我が家の液晶テレビはSony製だったので、Websiteで故障診断をしてみたら、修理が必要という結論になった。
 今夜は、秋田大会、復路の経由地の宿を予約した。初めて全国割が使える宿を予約できた。

10月28日(金)「ゲラ校正でてこずる・・・の風さん」
 故障したテレビを何とかしなければならない。県内でSony製品を修理してくれるショップを検索し、比較的近いところへ修理可能かメールで問い合わせた。ショップはわざわざSonyまで確認してくれた。そして、Websiteにも出ていなかった診断方法を一つ伝授してくれた。メインボードの故障の可能性が高いが、電源リセットで復活するかもしれないというのである。このリセットはしっかりおこなうのがポイントらしく、電源オフ後10分以上の時間をとってみた。すると、電源オン後、一瞬画面が光って、音が出るようになった。しかし、リモコンであれこれ試しているうちに、その音も出なくなってしまった。こういったことをしつこく3度もやってみたが、復活することはなく、3度目には本体スイッチにも反応しなくなってしまった。
 買い替えを決断した。この10年間に4Kが当たり前になっている。サイドボードに入るギリギリの大きさで、同じSony製を選択した。内臓HDDがないので、外付けHDDと一緒に発注した。当然Wi-Fiとも接続でき、映画の視聴ができる。これまでとほとんど使い方は同じだろう。2022年モデルだが、比較的安価だった。日曜日の夕方に届く。
 児童書のゲラの校正の続きをおこなった。今日は3〜5章がノルマだ。ところが、途中でむずかしい場所に遭遇し、頭脳が回転しなくなった。気分転換(半分逃避行動)で、1950年代の映画『沓掛時次郎』を観た。新国劇総出演(主演は島田省吾、ヒロインは水戸光子)。今朝、『鬼女』の書評が神奈川新聞に載ったことを教えてくれた五大路子さんと電話で話したので、この映画を選択したのだ。五大さんも新国劇に籍を置いていた。原作は長谷川伸である。
 昨日は、風呂釜洗浄を終えた風呂にすぐ入浴できたが、今夜は遅くなり、就寝は午前3時。

10月29日(土)「ゲラ校正が終了・・・の風さん」
 忙しい時に限って何か起きる(笑)。昨夜、メルカリに出品していた本が売れた。梱包だけしておいたので、今日、発送しなければならない。しかし、外出の用事が他にもあるので、先に雑務をいくつかしておいた。
 コンビニで発送後、地元の体育館へ行った。町の文化祭が久しぶりに開催されたのだ。コロナ対策は続いているし、庶民の警戒意識もそれほど低下していない。待ってましたとばかりの出品ではなく、コロナ禍でも着実に活動を続けてきたベテラン中心の展示になっていた。しかし、小中生の展示は、スペースに余裕がある。少子化が進行しているので、選抜でなく全員にするべきだと思った。鑑賞しなければいけない、ワイフのトール教室含めて、マークしている作品を見て、早々に体育館をあとにした。
 ホームセンターへ行き、必要な買い物をして帰宅したが、昼食時に間に合った。
 仮眠して休んだあと、秋田の展示で使う液晶モニター(今回急遽発注したやつ)の動作確認の続きをやった。モニターにスピーカーが内蔵されていなかったので、外付けミニスピーカーをiPadminiにつないで、とりあえず映像はモニター、音声は外付けスピーカーから出るところまで確認できた。
 夜は、児童書の初校ゲラの校正の残りをやった。何とか、午前1時に就寝できた。

10月30日(日)「テレビの設置が完了・・・の風さん」
 初校ゲラの著者校正を終えたものを、コンビニからクロネコで編集者(ほとんど共同執筆者に近いエージェント)へ送った。帰ってすぐ名刺の追加印刷をした。先週の旅のために用意した名刺はすべて使ってしまったので、来週の分がないのだ。
 バタバタと仕事をしている間に、発注してあったテレビと外付けHDDが届いたので、予定通り、設置に取り掛かった。
 こういう場合、私はマニュアル通りにやる。さすがにSony製なので、マニュアルはしっかりしていた。怪しいメーカーのものだと、マニュアルも意味不明なことが多い。そういう時は、英語の文章を読んでみる。少しはまともな内容になっていることがある。
 偉そうに書いたが、マニュアルの見落としか、外付けHDDの接続USB端子を間違えた。
 基本的にスマートテレビなので、PCと思った方がいいかも。Wi-Fi設定や、Amazonprimeの認識など、ソフト的な設定も多かった。
 早速ワイフが明日の朝ドラの録画予約をした。これがうまくいけば、完全復帰というか、以前よりバージョンアップになる。秋田大会の前に何もこんなに急いでやることない、と思う人もいるだろうが、何かの原因でポックリ(私が)死んだら、ワイフが屋内で路頭に迷う恐れがある(笑)。それを少しでも減らしておきたかった。
 秋田テレビの録画の繰り返し再生がまだできない。画面のサイズが変わってしまうという新たな問題が発生したのだ。ま、これは明日だな。

10月31日(月)「花粉症で苦しむ・・・の風さん」
 今日もやることが色々とある。頑張らねば。……ところが、起床と同時に腰が痛む。無理してはいけないので、かばいながら、だましながら、今日も頑張るしかない。
 秋田でやろうとしていたことを減らすのも大事だ。向こうで訪問するかもしれなかった方へ、手紙と本を先に送ることにした。その準備が終わって、キャメロンで外出。JPでレターパックライトを購入し、その場で準備した手紙と本を入れて出した。厚さオーバーにならずにすんだ。
 地元の蔵元に寄ってお土産(お礼の意味が濃い)を購入し、GSへ行き、満タン給油した。リッター155円で入れられた。これで、往路は新潟までもつだろう。
 帰宅したらもう昼食の時間だった。インスタントラーメンを食べた。休む間もなく、持参する著書へのサイン。昨日に続けて今日も20冊サインした。これで、サインはほぼ終了。どれだけ持参できるかは、キャメロンのスペース次第。他に積んでいくものが多いので、全部は無理だ。
 今日は朝から曇り。明日は雨の予報だ。来週帰宅してすぐ草刈りはつらいので、今日やっておこう。着替えて屋外へ出動した。
 バッテリー1個分やった。これで安心。カラーコーンのテープが一部はがれていたので、それも修理した。
 片付けをしている間に、ワイフが帰宅した。
 この頃から、花粉症が出た。くしゃみと鼻水が止まらない。晩御飯前に微熱を感じたので、解熱剤を服用した。不安が脳裏に広がる。まだまだやることがあるのに。
 晩御飯後、熱はないので、コロナや風邪ではないと判断し、抗ヒスタミン剤を服用した。
 薬がなかなか効かない。どうしようもなく、録画の繰り返し再生にチャレンジしたが、できなかった。
 諦めて、今夜はやや早めに寝ることにした……が、就寝は午前1時。バタンキューだった。


2022年

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